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■記事一覧
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| ・見抜くこと、導くこと |
| ・野球小僧、ナゾの行動 |
| ・ホントの野球拳はエロくない!? |
| 見抜くこと、導くこと |
少女が教えてくれた指導者としての”野球“
そのエースは年間を通して公式戦ではたったの一勝だけでした。
少女は幼い低学年の弟をバスでグラウンドまで連れて行くために始めた野球でした。まだ低学年の弟を一人でバスに乗せるわけにはいかなかったのです。しかしながら、その少女はまだ4年生。特別野球が好きなわけでも、野球が得意なわけでもありませんでした。
男の子ばかりの中、一緒に入った仲良しの女の子が辞めた後、彼女もまた一度は野球を辞めてしまいます。
時は過ぎて、その少女がたまたまチームの応援にお父さんと行った時のことでした。
その試合で必死に投げる六年生のエース。その眩しいくらいに輝くエースの姿を見た彼女は、眠っていた魂を揺さぶられました。
「お父さん。わたしもう一度野球がしたい」
その後の彼女は、弟や誰かのためではなく、自分のためだけの野球を迷いなく突き進みます。
男の子にも負けない速球…脚力、バランス、忍耐力…
やはり女性は強い生き物ですよ。
コラコラ! ここを読みながら台所で洗い物をするお母ちゃんをチラ見しないっ!(笑)
野球は一人がズバ抜けた能力を持っていても勝てるものではありません。団体競技には素晴らしいところがたくさんあります。しかし、残念ながらそれと同時に残酷な部分も持ち合わせているのです。
葉山大会での最後の試合が終わった後、監督が彼女にこう言いました。
「今まで自分の才能以上の成果を野球では出せなかったと思う。野球は続けたいかもしれないけど、あなたは個人競技に進む方が結果が出せると思うよ。それもひとつの道だから」
厳しさと暖かさが入り交じったこの励ましの言葉を、6年生の彼女はどう受け取ったのでしょうか。
当たり前に野球の道だけを押し付けるのではなく、その子供に応じたスポーツを勧め、導いてあげる。これもまた、何年も一緒にいた指導者だからこそ出来ることだと思います。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」戦う団体競技である野球。人と人との繋がりや労り(いたわり)を学ぶには素晴らしいスポーツです。
卒団した彼女は、中学校では陸上部で日々汗を流していると聞きました。陸上競技といえば、まわりはすべて敵。更に「最大の敵は自分」という野球とはまったく違う競技です。ある意味、野球よりも厳しい世界に彼女は挑戦したのです。
ああ、あの時の言葉をしっかりと受け止めてくれていたんだ、安堵(あんど)と寂寥(せきりょう)の入り交じった不思議な気持ちになりました。
たった一勝を宝物に彼女は野球人生を終わりました。
あの日、あの時、今も脳裏に焼き付いているマウンドに立つ彼女の勇姿。
女性が野球をすることを、初めて認めざるを得ない様な、そんな豪快なピッチングをわたしは側で見られたことを幸せに思います。
そしてまた一つ、自分がプレイヤーだけをしていたならば感じることの出来ない“野球”を経験させてくれたことを感謝しています。
ありがとう。
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イッテツのつぶやき
野球小僧、ナゾの行動 |
イッテツさんの気になること。
これから夏に向けて暑くなりますね。
グラウンドには太陽の日射しジリジリで、体中から汗が吹き出します。
真っ黒に日焼けした、たくましい子どもたちが見られる季節が近づいております。
練習中、喉をカラカラにして一目散に向かうのは
麦茶の入ったアウトドアキーパー。
全員がコップに注いでゴクゴクと気持ちのよい音をたてながら飲み干していきます。
大きなアウトドアキーパーも、みんながゴクゴク飲んでおかわりをすればさすがにカラになります。
コックをめいっぱいひねっても、麦茶が出て来ません。
なぜなら、それはカラだから。
そんな時、野球小僧は決まってフタをパカッと開ける。
中には、キーパーの中身が入っているのをわかっているのに、わざわざ開ける野球小僧もいる。
砂ボコリが入るから開けるなと言っても必ず開ける。
なんでやろ?
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| ホントの野球拳はエロくない!? |
愛媛県で誕生した元祖野球拳
大正13年の当時、西日本に名前がとどろいていた強豪・伊予鉄道電気(現・伊予鉄道)野球部は、高商クラブ(高松商OBチーム)と対戦し、0対8で惨敗を喫した。その試合の夜、高松市内で開かれた懇親会で、宴もたけなわとなり、隠し芸の腕比べとなった。そこでも、芸達者ぞろいの高松勢は社交ダンスを披露するなどまたしても優勢。芸のない伊予鉄電選手らは、ますます落ち込んでしまう。
その時、マネージャーの前田五建が仲間を別室へ集めて、自作の即興歌と振り付けを教えた。
野球するなら
こういう具合にやらさんせ
投げたら こう打って
打ったなら こう受けて
ランナになったら えっさっさ
アウトに セーフに よよいのよい
へぼのけ へぼのけ おかわりこい
前田五建の歌と三味線に合わせ、選手全員が向かい合って野球のしぐさをしながら踊ったところ大受け! 座は大いに盛り上がり、夜の部は伊予鉄電の大勝利となった。
これが野球拳の始まり。当初はじゃんけんではなく、狐拳(狐・猟師・庄屋の三すくみの関係を用いたじゃんけんのようなもの)であったが、昭和22年の伊予鉄忘年会からジャンケンになった。その後、お座敷芸として全国的に広まり、昭和30年代には現在のような服を脱ぐルールが定着したようである。
ちなみに、野球拳には家元も存在しており、愛媛県・松山春まつりで「野球拳全国大会」も行われている。ルールは3人一組による団体戦で行われ、一方の選手が全て敗れた時点で3アウトとなり、ゲームセットとなるというもの。もちろん服は脱ぎません。
お色気ゲームとして広めたのはアノ2人!?
服を脱ぐスタイルが定着したとはいえ、こんなにも全国に広めてしまったのは誰か?実は、あのコント55号らしいという情報を入手した。
昭和43年、日本テレビのバラエティ番組「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」で罰ゲーム的に紹介され、よりいっそう誤った認識が全国に広まってしまった。後にこの番組は「コント55号の野球ケン」という独立した番組にまで発展する。しかし、この誤った認識を全国に広めてしまったことに罪悪感を持っていた萩本欽一氏は2005年に松山を訪問し、本家野球拳の四代目家元に謝罪し、本家の流儀を教えてもらったそうである。
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